ご無沙汰しております。
どーも。
けーご…と名乗ってたときがなつかしい。
けーごは降りました。
それはともかく。ご無沙汰しております。
一年以上ぶりのブログ更新。
久しぶりに見てみたらアクセス数が散々たるもの。
(そらそーだ)
自分もこのブログの存在をほぼ忘れていたし、思い出した時があっても書くつもりは全く無く。
しかし少し前に、リアルで仲良くして頂いていてこのブログの存在を知っているお方が
「もう更新しないの?」
と言ってくださったので「あぁ〜…」と少し思い出して。
少しでも興味を持ってくださっている事がありがたいなぁと。
それでも書く気は起きずどうしたものかと思っていたのですが、こうして昼夜逆転生活を送っていて憂鬱な朝を迎えてしまった今、ちょっとブログをいじってみようかなと思い立ったわけです。
とりあえず、思いついたことを書きます。
ブログって本来そういうもの(多分)。すばらしい。
…と思いつきで書いていたらとんでもなく長いブログになってしまいました。
(↑ブログを書き終わった後にこの文章を書いております)
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まず、最初に語っていた
「けーごは降りました」
の件について。
2019年の初めからけーごとしてTwitterやらこのブログやらなんやらをやっていたわけですが、ちょっと疲れてしまったのですね。
Twitterで何者かになろうとしていた時期もあった…が、結構早い段階で馴れ合いの場になってしまっていた。(馴れ合いが悪いわけではないのですが)
そしてそのやり取りの中にも楽しい事もあればしんどい事もあり。
Twitterの中で色々な人間関係が生じ、仲良く楽しむ事もあれば揉める事もあって。鬱陶しい輩に絡まれることもあれば、何者かもようわからんインフルエンサーもどき達が沢山出てきて(かくいう自分もそれっぽいものになろうとしていた時期があったような)、そいつらにフォローされてフォローし返したらそのうちフォロー外されたりとか。(口悪くてさーせん)
あぁだるい。なんだこの世界は、と。
時が進んでいくに連れて、あのアカウントにいる時にネガティブな気持ちが多く生じるようになってしまい。
…と、そんなこんなでとにかく疲れたのでしばらくアカウントを消して休んでいたら、復活するタイミングを見失い、アカウントが永久に消えてしまったというわけでした。
仲良くして頂いてた方々に挨拶もせず消え去ってしまったわけで、その方々の事を思い出す事もちょくちょくあったのですが、特に行動には移さず…。
ただ挨拶する…といっても特に何者でもない自分が
「引退します!」
なんて宣言するのも
「いやお前誰やねん」
となりそうだし。
消え方に悩んでいました。
休んだ後にアカウントに戻って、ほど良い感じでフェードアウト(引退)しようと思っていましたが、モタモタしてたらアカウントが消滅してしまい、急に消え去るといった形になってしまったわけです。まぁでもスッキリしましたね。なんだかんだで。
上記の仲良くして頂いていた方々とは、またなんらかの形でご縁があれば、という気持ちです。サバサバしていて申し訳ないです。
飲みに行く約束をしたお方とかいつかお会いしましょうと約束をしていたお方とか、その約束はゆるっと生きておりますのでまたタイミングが合えば。いやおまんみたいな礼儀知らずとはもう金輪際絡む気ないわ、と思われていたらまぁそれはそれで仕方ない、ということで。
とりあえず、こちらとしましてはそういう気持ちは持っているということでございます。気持ちを持っていても行動しなきゃ伝わらんのですけどね…。
…と、長くなりましたが、けーごを降りた経緯について語ってみました。
Twitterに関してはそんな感じです。
まぁ
けーご=あのTwitterアカウント
というイメージが自分の中にはあったので。
それはもう降りた、ということです。
このブログを放置していた事についてはまた後で語るとしましょう。
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あと、Twitterを休み始めたもう一つの大切な理由として、愛犬の病気というものもありました。Twitterで感情を惑わされるよりも、愛犬と接するリアルの生活を大事にしたかった。
結論から言うと昨年の11月に闘病の末、愛犬は亡くなってしまいました。大切な人(動物)の最期を見る事なんて人生で初めてでした。人生でこんなに涙が出た事はなかったのではないかというくらいに涙が出ました。
病気が発覚して約8か月、本当によく頑張って生きてくれました。3月に病気が発覚して5月には元々持っていた白内障が悪化し目が見えなくなり、5月下旬には病状が悪化し九死に一生を得たり、7月には平衡感覚も狂ってしまったり。…それでもそんな状態でも、自分達が家に帰って来た時には調子の良い時にはしっぽを振って喜んでくれたり、病気になる前に近い元気な姿を見せてくれたり。
本当によく頑張って生きてくれました。
本当に心から愛していました。
14年と6か月。我が家に元気や癒やしや幸せな気持ち、色々なものをくれました。ここに書くのはこっぱずかしいような、大切なものを自分にくれました。
ここ数年実家で暮らしていた自分ですが、そろそろ実家を離れたいなという気持ちがありながらも離れられなかったのは彼女(愛犬)の存在が大きかった。それだけ愛していました。
本当にありがとうの気持ちしかないです。粗相されたり鳴き声がうるさかったり、苛ついたり面倒だなと思ってしまった事もあったはずなのですが、思い返せば愛しい思い出ばかり。最後の8か月間はさすがに辛そうな記憶ばかりで、そこは思い返すと辛いところですが。
最期は苦しそうで辛かったですが、看取れて良かった。そういう辛い最期を看取る事も、愛した人間としての役割でもあるんじゃないかなと。看取りたくても看取れない場合もあったわけで、看取れた自分は幸せ者だったと思います。
趣味のバスケに行き、今住んでいるアパートに帰った直後に「元気がない」と親から連絡があり、酸素ボンベを買って実家に帰ってすぐの事でした。本当に少しでも遅ければ間に合わなかった。
…それまで、そんなギリギリまで頑張ってくれていたんだなと思うとまた辛い、切ないものですが。
https://happy-life-k5.hatenablog.com/entry/2021/01/14/112510
昨年の1月にこんなブログを書いていました。本当に予知夢のようなものだったんだなと。
そのブログで
「大切な人が生きてくれてさえすれば良い」
と書きましたが、その大切な人が亡くなってしまったわけですが。
(ここでは愛犬のことをあえて「人」と書きます)
大切な人が亡くなっても、どうにか生きていけるものだなと。勿論、思い出せば辛いですが。
大切な人がいなくなってもなんとか生きていく事が大切だし、その人にとっての供養にもなるのかなと。
今自分は35歳。何事もなく健康に順調に生きていければまだあと50〜60年も生きれる(はずの)自分。死後に彼女(愛犬)に会えるとしてもあと60年近くは会えないんだなと思うと結構しんどいですが、まぁでも命ある限りなんとかやっていこうと思っています。
自ら死期を早めるような事があれば行く場所が違って会えない可能性もある…という話もあるわけですし。(もち、早めるつもりは全然ないです)
…いやぁ…長く語ってしまったな。愛犬の死について話したのは家族と昔からの大切な友人1人だけで、公の場で語るのはこのブログがはじめてです。
そない自分から話す事でもないし、Twitterとかで呟いていいねをもらいたいわけでもないし、それで変なリプとか来たりしてもすごくいやだし。
まぁでも今、流れで話してみました。彼女についての想いを何かの形として残しておきたいという気持ちもあったかな。その辺も、今語れてやっぱりちょっとスッキリしました。
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…と、ちょっとだけ語るつもりが随分と長くなってしまいました。
そんな昨年のお話。最初の方に「昼夜逆転で憂鬱…」と話しましたが、実際の人生自体は割と良い方向に進んでいましたし、現在進行形でもあります。
膝の調子が悪いので治療がてらストレッチや筋トレや食事のコントロールを始めたら、体重がピーク時から10キロ以上減って体脂肪率が人生で初めて一桁になったり。
2〜3年前にダンクするぞと大口を叩きながらも2年近くリングにすら届かない生活を送っていましたが、上記のボディメイクの影響でダンクとはいかないもののリングに届くようになり、もう少しで掴めるくらいには跳べるようになり。
…と思えば膝がまた悪くなりジャンプ力が落ちてしまったりもして。まぁその辺の話はまた後で語るとしましょう。
仕事に関しては当時からやっていた自営業を継続中。昨年の9月から一人暮らしをしていて、その生活がなんとかなるくらいには稼げています。
昨年まではなかなか思うように売上が上がらなかったものの、今年に入ってから色々あってようやく上がり始め、ここからまた頑張って行かにゃな、といった感じです。
しかしまぁ正社員時代に感じていたストレスが無いという事が非常に大きな事。ここに関してはそれを維持していきたいものです。
そりゃ思うようにならない事もありますし凹む事もありますが、なんだかんだで多分色々な事が順調に進んできているのだと思います。
とりあえずこの調子でリアルを生きていきたいなと思います。
…以上。ながーく語りましたが。
朝がきた。昼まで寝るか。